スタッフルームから

高校で実用教育をすべきか?


 以下の記事の中で,「一流大学」「一流企業」といった表現が出てきますが,何をもって「一流」とするかについては,この際不問に付しておきます。その判断は,読者諸氏の生活実感に基づいて各自なされますようお願いいたします。

1 いまやってる勉強,役に立つ?

 「どーせこんな勉強しても将来役に立たないっつーの」と嘆く受験生は多い。たしかに因果関係がわからない。いまやってる勉強がどのくらい将来効いてくるのか。「試験のための勉強」が好奇心や創造性を奪うといった議論がずっと展開されてきたことだし,さらに実用の面から見ても,やっぱり学校の勉強はあんまり役に立たないようにみえる。

 受験英語をいくらやってもぺらぺらしゃべれないのはキホンとして,最近話題のコンピュータ教育も,なんかちょっとちがう気がする。いくら根底的なアルゴリズム勉強してもね,社会に出て真っ先に求められるのは最先端の便利なソフトを使いこなすこと,それにキーボードを打ち込む速さだ。ワープロ打てないってのは,いまやオフィスでは字が書けないのとほとんど同じだ。まだあるぞ。なんで家庭科があんなに虐げられているのだ。それこそもっとおいしい料理の作り方を教えれば,将来どんなに幸せかわからない。掃除や整理の仕方も体系的に学べると便利だ。一人暮らしや単身赴任で必要なのは生活情報だからだ。家庭科を強化すればダンナも奥さんも生活力がアップして,離婚だって激減するかも知れない。作文だって,けっこう軽視されてるんじゃないかな。東大や慶応の学生で,作文が全く書けない人があまりに多い。「何書いていいかわからない」なんていう最悪のケースが巷にごろごろしている。レポートみたいに,参考書や先輩から代々伝わる解答を丸写しすればいいものは,ほんとに素早いんだけどねえ。

2 それって学校だけ?

 実はそういうことを痛感しているのは受験生だけじゃない。ビジネスマンも同じだ。どこのオフィスにもいるのが超不器用な人。ハサミとのりが使えない。切ればギザギザ,貼ればべちょべちょ。コピーは曲がってしかも原稿浮いてるから影が写るし,拭き掃除は雑巾で雑になでるだけでぜんぜん汚れがとれてない。机は散らかり放題で,話し方はケンカ腰。封筒書かせれば記入ミス続発,電話受ければ相手が誰かも聞かない。多くのオフィスではこういう人の後始末に追われて毎日余分な仕事が次々に生産されている。それがね,こういう問題児は有名大学出身者ばかりなんだから困ってしまう。

 学歴社会の弊害は受験生が想像する以上に凄まじいものがある。なにしろ高校時代という人生の基盤を作るべきときに,あらかじめ答えの決まっている機械的な勉強を延々とやらなくてはならない。しかも役にたたなそうなことばかり。もっと自主的な活動をして創造性や協調性,自己表現力を身につけた方がいいに決まっている。そして教育内容は,社会的に見るとやっぱり実用教育が必要なように思うなあ(最終的な結論はちょっとちがうんだけどね,……終わりまで読んでね)。

3 じゃあなぜ?

 で,なんでそういうアップデートな教育が行えないかって?いろいろ理由はあるけど,公教育は失敗したらマズいから,というのがその筆頭かな。あんまり実績のない試みをして大失敗すると教育関係のエライさんが責任とらなきゃならない。だから民間で試みてうまくいったようなのをちょびちょびと取り入れる。そして次によく言われるのが,人材の問題だ。管理職リストラなんてなんのその,公教育には失業はないから,パソコン使える人は非常に少ない。設備だけ作って回線敷いたけどだれも使えないって,よく掲示板なんかに暴露される。べつにパソコンだけじゃなくて,とにかく新しい情報に対応できる人間がいない。これを民間では赤字覚悟で必死に社員教育したり,または契約社員や人材引き抜きなんかで補ってるんだけど,教育の現場ではまだまだ人材の流動は少ない。そして,キワメツケは,専門教育の利権問題だ。もし高校の英語だけでけっこうしゃべれるようになってしまうようなら,実用英語検定みたいなものの価値が下がる。また,高校が実用教育を掲げれば,教科教育の地位(「地位」を問題にすることの可否はともかくとして)は相対的に低下する。これは膨大な枝葉末節の専門研究を税金で支えている大学政策への不信につながる。べつに教育に限らず,いろいろな問題を考えると,最後は「税金で食っているエラい人」のところにいってしまうのだ(これ以上はヤバいから書かない)。

4 そこで問う!

 で,受験生諸君,高校で実用教育が可能だとして,君はそれに賛成だろうか。受験勉強や競争がつらいから,なんていう安易な理由で賛成したりすると後悔するかも知れないぞ。なぜなら,高校に実用教育を盛り込むということは,言い換えれば現実社会の競争がそのまま学校に持ち込まれることを意味するからだ。これは決して論理の飛躍でも何でもない。

 今,高校で,掃除さぼったり多少遅刻したりしても,あるいは定期試験勉強を手抜きしても,卒業できなかったりすることはほとんどない。それどころか,将来にもほとんど響かない。これが会社なら一挙手一投足が(無礼講なんていっても)評価の対象になる。高校は実社会から隔絶された「楽園」なのだ。そしてそれは,民間企業が高校でやってること(試験の成績も含めて!)を全くといっていいほど評価していないことによって維持されている。

 もし,高校の成績が実務能力を反映している,なんてことになったらどうなる?ただでさえ「青田買い」が問題になったりするのに,ますます就職戦線が若年シフトする。中間試験結果がよかったら企業にアピールするためにHPに公開しとこう,なんてね。小学校の家庭科の成績証明書が必須になったり。さっきも書いたけど,こういうことが行われないのは,企業側が学校の成績を何の価値もないと思っているからだ。

5 ところで

 じゃあ,なぜいい大学の人は一流企業に行くのかって?ちょっと話はそれるが,重大な質問だ。まず容易に想像できるように,一流大学には適応力のある人が他大学より若干多い。新しい情報についていける。べつに学校の成績を直接評価しているわけではないが,この人たちが企業のメインターゲットとなる。だが同時に,上に書いたように,一流大学は企業に大量の「問題児」をも送り込む。これが社内でもめごとの種になる。「なんであんなのがカチョーなのさー。大学のなまえがちょっといーだけで,なんにもできないくせにいっ!」なんて,OLにいじめられたりね。お茶に雑巾のしぼり汁とか!?

 どうしてそうなるかというと,言いにくいけどやっぱり教授との取引なんだね。現在就職について最大の力をもっているのは,大学の就職課でもなければ職安でもなく,大学の教授だ。教授の機嫌を損ねると,ごく一握りの優秀な学生まで手に入らなくなってしまう。で,あまり知られていないかもしれないけど,リストラされても出身大学の教授のコネ(紹介 or口利き)で一流企業に(新卒を押しのけて)ちゃんと再就職サーフィンをしてしまう人がとてもたくさんいる。会社をリストラされて大学の助教授になった,なんてケースもあるらしい。地方の小さな診療所でリストラされた薬剤師が出身大学の教授に泣きついたところ,なんと超有名国立医学部の職員に採用されたケースもある。かくして教授の力に頼れない大学や研究室の学生は,自分で就職活動をしなければならない。

 じゃあ学生を紹介する側の教授はというと,問題児の企業への押し込みは大変な負担になっている。就職実績は研究室の人気に関わるからだ(この「人気」が何を意味するかはあえて触れないでおく)。そこで企業側は問題児を引き受けると同時に,利益を生みそうな優秀な人材も長期的には紹介してもらう(ことを暗黙のうちに期待する)。「抱き合わせ販売」だ(高校受験の推薦みたいなもんだね)。企業が問題児に払う給料は,優秀児をゲットするための必要経費と見られている。ちょっとヤバネタだったかな。

 ちなみに企業が欲する優秀児は偏差値に関わりなくどんな大学にもごく少数だがちゃんといるものだ。従って,これを確保するために多くの問題児を引き受ける構図は三流大学でも変わらない。マイナーな大学でも財閥系企業にかなりの人数が就職するのはそのためだ。

(おまけ:ひみつだよ)東大でも法学部や工学部など就職がめっちゃいいところは「就職活動禁止の詔」が出ることもある。これはみんなが好き勝手に就職活動すればほぼ確実に内定がとれて,同期生が一つの企業に集中するおそれがあるからだ。すると将来役員人事で困る。だから各学生の希望をもとに,事務室とかで調整を行う(ジャンケンやあみだくじのときもある)。これで行き先が決まればあとは教授の紹介状(のし紙!)を付けて送り出すだけだ。「どーぞ」って。これで就職完了。大学院生はもっぱら研究室レベルで教授と相談の上決まる。バブル期は毎日のように一流企業から「人買い」の人がやってきて,寿司や焼肉など充実した接待攻勢が学生に対して繰り広げられた。

6 本題に戻るけど

 「ん?家庭科の成績が必須?そりゃないでしょう」と思う人は,民間企業がどのようにして新人を選ぶかを思い出してもらうとよい。教授の紹介の次に親や親戚関係を重視する,あの選考は一体何を意味しているのか。企業にとって就職とは,コネを強化し,利害関係者に恩を売ることができるきわめて重要なイベントであるのは間違いない。が,それに加えて,どこの馬の骨かわからない人間より,素性の知れている人間の方がいろいろ安心できる,ということがある。

 企業は家庭的な人材を求めているのであり,別に「能力」を欲しているわけではないからだ……というと誤解を招くかな……正確にはごく一握りの創造的才能のある人材を除いては,機械的作業を安心して任せられる器用な(それも立派な「能力」だ)大多数を求めているのだ。前者は一流大学の研究室から大学院生を直接調達したり,とっておきのコネを駆使してあらかじめ確保する。こちらは多少ヤクザな奴でも,収益力につながればよい。特殊なルートをもつブローカーだったりもする。そして後者の「よい子」が一般募集の対象となる。もちろん,問題児をコネで押し込もうとする輩には企業も抵抗するが,逆に企業のほうからコネをたどって,ハズレの少ない人材をゲットしようとするのは,まさに企業の防衛本能といえるかもしれない。場合によっては家を見に来る,近所に聞き込みする,なんてのも,できるだけ非常識な人間を排除しようとするからにほかならない。(ウチの実家では,近所の人がいい会社に就職するたびに聞き込みがきたものだ。近所づきあいって大事だね。)ともかく企業にとって,問題児を採用することの損害は甚大なのだっ!ちなみに,よく,大学3年になると親戚の豪邸に引っ越したりする人がいるけど,そんな姑息な手段は通用しないぜっ。念のため。

7 疑似イベントでいいんじゃない

 というわけで高校で実務教育なんかやったら,大変な,場合によってはこれまでの受験戦争がお遊びに思えるくらいの競争が生まれる可能性がある。勉強に金銭的利害が絡むとどうなるかは,医学部受験事情を見れば一目瞭然だ(そのため凰籃学院では表向き「医学部受験」といった標語は掲げていない)。文化も知性も学問も吹っ飛んでしまう(くわしくは聞かんどいてくれ!)。それよりは,今のように,「役に立たない」勉強で競争していた方がのどかでいいんじゃないかなあ,と思ったりする。あくまで実社会に出るまでのシミュレーションだ。だから多少失敗してもいいんだよ,と。たしかに受験戦争はつらいけれども,それがダイレクトに実社会での評価につながることになるのは,もっとつらいんじゃないか。

 とはいえ,早期に能力主義を取り入れた方が社会のためだし,その方がやる気が出る,という人もいるでしょう。そういう人にはもう一つ考慮してほしいことがある。

8 パンのみにて……

 人間は農作業マニュアルと同時に聖書や教典や哲学を必要としてきた。経済や生産活動と関係なく,一見不必要なことをあえてやってみるのはあらゆる精神文化の源だ。そして高校の教科の内容には,明らかに末節と思われる知識に混ざって,人類の精神文化の遺産が含まれている。その中に,金では買えない貴重なものがあると信じる。だから,公教育が実務能力重視へと突っ走るのはやはり自制しなければならない。そして,それら精神文化の遺産がいかに貴重なものかを,ある程度実感できるように語り,すべての高校生が享受できるようにしてほしい(人材面で難しいかもしれないが)。また,受験戦争がなくならないのなら,入試出題者には,無機的な暗記チェックではなく,より格調高い文化的な問題を出題してほしいと思う。


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